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星に打たれた音叉

星に打たれた音叉

 

もしこの娘にキスをして、この言葉にならぬ幻影を、彼女の限りある息づかいに永遠に合体させてしまったら、心はもう二度と軽やかに飛び跳ねることはないだろう。神の心のごとく。それが彼にはわかった。だから待った。星に打たれた音叉に、今一刻耳を澄ませた。それから彼女に口づけをした。(『グレート・ギャツビー』村上春樹訳・本文p203より)


「グレートギャツビー」の小説は何度か読んだし、映像化されたものも多分ほとんど見ている。

主人公のギャツビーは、ダサくて、惨めで、途中はほんとに見てられない。お金持ちで綺麗かもしれないけど、デイジーにあそこまでこだわる理由はないのにって。

でも、引用したこの部分がとにかく好きで、だから何度も読んでしまう。


デイジーに初めてキスをする時、ギャツビーは本当は少し迷っていた。デイジーを好きになってしまったら、きっともう自分は自由でいられなくなることがわかっていたから。そのときのギャツビーは何にでもなれる可能性があったけど、それを捨てることになってしまう。そしてお金持ちのわがまま娘に囚われてしまう。

でも飛び込んだ。音が聞こえたから。村上春樹は「星に打たれた音叉」としているけど、きっとそれはインスピレーションみたいなものだと思う。直感の響き。それが聞こえたから、それに従ったのだ。

私も一度、それが聞こえた。明らかに後悔しそうな決断だったし、今でもそれが正しかったのか自信がなくなるけど、今でもその時の響きを覚えている。それに従わないのは、何かから一生逃げ続けることのような、何かを永遠に失うことのような感じがした。それは「自分自身を生きること」みたいなことだ。

どんなに正しく生きたとしても、あるいはスマートに生きたとしても、それが自分自身を生きていなかったらなんの意味があるんだろう。私にとって、「グレートギャツビー」はそういう話。

 

 

“とうだいもり”

くらい海をてらす光。

灯台には、灯台守がいる。

灯台守は嘘をつかない。どんなにささやかでも、ほんとうのことじゃないと、どこにも届かないから。